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不備の埋め合わせ (2008年01月03日)

不備の埋め合わせ

Hands.jpg 今は、ちょっとした知り合いから受けた小さな親切を覚えておくのに最高の時期だ。自分が忙しくてもほかの人を探すのに貴重な時間を割いてくれるような人たちだ。

 あなたも、日常的に無差別の親切をしている1人かもしれない。これは、区別も、理由も、期待もなく、だれにでも、いつでも手を差し伸べる、というシンプルな哲学だ。これは双方にとってメリットがある。身近なストレスを和らげ、手本を示し、それが親切を受けた人の一生に影響を与えることもある。
Web デザインなどの話題を扱う掲示板やメーリングリストに参加する親切な専門家は、本来なら有償でも提供できる時間を提供しているのだ。無差別の親切は、あなたにでもできる。

2週間ほど前、筆者は最後に残った未発送のクリスマスプレゼントを抱えて郵便局に立ち寄った。フリーランスである筆者は、服装は T シャツとジーンズで構わないし、地元の雰囲気にもピッタリ合っている。順番待ちの列では、髪をきれいにセットし、ミンクのコートを着た女性が筆者の後ろに並んでいた。筆者が車に戻ろうとすると、係員がその彼女に向かい、金額が1ドル不足していることを大声で叫んでいた。
「あら、どうしましょう。すぐ戻ります」と言って自分の車に戻ろうとした彼女に対し、筆者はポケットからしわくちゃの1ドル紙幣を取り出して、「わざわざ戻らなくてもこれで大丈夫ですよ」と言って差し出した。やや慎重ながら、彼女はけむに巻かれた表情と喜びの表情を同時に浮かべた。

映画「 フェリスはある朝突然に 」で、鼻水を垂らした子どもが粗末な格好をした校長にクマの形をしたグミをバスのなかで渡そうとするシーンを思い浮かべればよい。彼女が無差別の親切を行うことに喜びを見いだし、それを伝えてくれれば良いのだ。

われわれは、だれしも何らかの判断を下す。特に外観で判断する。しかし、外観以外の基準が得られるまで判断を待つことも素晴らしいことではないか。もし人を判断するのと同じ基準で食べ物を判断したら、だれもチョコレートなど食べなくなる。完全と不完全の間のギャップを埋める機会があるなら、その機会をとらえて解決に向けた橋渡しになろう。