最強の採用メーカーA社は日本を代表する大企業であり、長年業界トップを維持している。そのブランド力・採用力は絶大で、多くの人はA社と聞けば無条件に入社をしてしまう。
もちろん、稀に業界他社を希望する方もいるのだが、A社の採用活動は狙った人材に対して、あくまでどん欲だ。 外資系メーカーで働くTさん(31歳)はマーケティング畑を歩いてきた方だが、わずか8年のキャリアのなかで、いくつもの大型プロジェクトに携わった経験を持つ強者(つわもの)であった。 Tさんは面接を受けた結果、業界二位のB社を第一希望にしたいと我々に告げてきた。 「B社は、入社後どういうポジションを用意しているか、どういう活躍を期待しているかを明確にしてくれました。面接して下さった方の印象もよく、社風としてもB社の方が自分にはあっていると思います。」 Tさんは他にも「自分の性格を考えると、追いかける二番手企業の方が、モチベーションが得られやすい」といったことなどを挙げ、同時に応募していたA社よりもB社を優先するとしたのだった。 しかし、A社の人事はそのコメントを聞いても簡単には引き下がらなかった。というのも、A社が欲しい人材に逃げられることは滅多になく、採用担当者にとってこれは一大事だったのである。 Tさんほどの人材を採りそこなうことは、あってはならないこと。ヘタをすれば自分たちへの評価にも影響しかねず、我々に向けて「これまでの選考のどこがいけなかったのか」「どうすれば気持ちが変わる可能性があるのか」「現在、A社とB社の希望の割合は何対何くらいなのか」といった質問が矢継ぎ早にされたのだった。 ただ、「面接をした社風の印象」「二番手企業の方がチャレンジング」というのは、A社人事があがいてもどうにもならないことである。残るのは「入社後のポジションが明確である」という点のみ。B社と同じように、ここをフォローして差を縮めるしかないと我々は考えていたのだが、A社がとったのはそれとは180度反対の方法であった。 A社は最終選考前に、「会って貰いたい人がいる」といってTさんを本社に呼んだ。その人物は、一般にはあまり名前は知られていないが、A社の企画部門の中心を担っているK氏で、面接した多くの人が彼の人柄・キャリアに驚嘆するのを我々は何度もみてきていた。 「ここでエースをぶつけてきたか」 我々はA社のTさん採用にかける本気度を感じていた。 Tさんは案の定、K氏と話をして「A社の新たな一面をみた」「トップ企業のすごさ、迫力を肌で感じた」と言っていたが、同時に人事からTさんに伝えられたメッセージにも強く気持ちを動かされていた。 それは「我々は単なるポジション補充のためにあなたをとるのではない」というものだった。 A社はTさんに対し「キャリアが合うから採用するんじゃない。特定のプロジェクトに参加してもらいたいから採用をしたいわけでもない。あなたという人間なら、自分の考えを実現することで、A社のなかで様々な価値を創りだしてもらえると信じるから採用したいのだ」と、繰り返し訴えた。 B社が具体的ポジション、プロジェクトを示して「ホラ、あなたのキャリアにピッタリ。ぜひ来て下さい」としたのとは対照的に、A社は長期的視点でキャリアを考えていることをアピールした。同じことをしたのでは「社風」「二番手企業の魅力」でB社には勝てない。だから、むしろ逆をいくことでA社はTさんの気持ちを揺さぶったのだ。 Tさんは思っただろう。 B社に入社すれば何をやるか見えている、それは自分がやりたい仕事だし、異存はない。しかし、プロジェクトが終わった後はどうなるのか?数年後、また転職を考えることになるかもしれない、B社のキャリア重視はたしかに外資でやってきた自分には合っている、けれど悪く言えば、それは人の能力を組織のなかに当てはめていくやり方だ。組織の歯車、大切なパーツと思っているかも知れないが、B社は部品の一部を調達するように今回の採用を考えている。自分は本当にそれでいいのか、一個人として自分をみてくれているA社を蹴ってまで、行く価値があるのか…。 Tさんが気持ちを変えるのに、それほど時間はかからなかった。 仮にTさんを採用出来なかったとしても、ブランド力があるA社なら、すぐに次善の採用を行うことが出来たろう。しかし、彼らは労を惜しまず自分たちが考える最高の人材を採りにいった。我々は、その姿にただただ感嘆するしかないのである。 ※このコラムは、事実を元にしたフィクションです。 |