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藤本真樹(ふじもと・まさき)
取締役 執行役員CTO
プラットフォーム開発部長
2001年、上智大学文学部卒。株式会社アストラザスタジオを経て、2003年、有限会社テューンビズに入社。PHP等のオープンソースプロジェクトに参画しており、オープンソースソフトウェアシステムのコンサルティング等を担当。2005年、グリー入社、取締役に就任。
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− 編集部:そもそもどんな形でコンピュータと出合われたのですか?
私はファミコン世代なんですが、我が家にはファミコンがありませんでした。だから、家でゲームをするということにずっと憧れていました。中学1年の終わり頃、たまたま父親がパソコンを買ってきたんです。それを使って勝手に遊んでいるうちに、PCゲームはファミコンのゲームとは違うことにやがて気づきました。自分でプレイするだけでなく、プログラムを書いて遊ぶこともできる。こんな世界もあるんだ、ということを知りました。それこそ親が寝静まった深夜に起き出して、朝までゲームをしたりプログラムを書いたりして遊んでいることもありました。それが、理屈抜きにおもしろかった。あの頃はコンピュータを触っていれば、それだけで良かったですね。
− 編集部:中学時代には、もうプログラマになることを決めていたそうですね。でも、大学では理系にも行かずに、文学部で英文学を専攻されます。
中学生だった当時は、世の中にあるビジネスのシステムや組み込みソフトのことなんて、当然知らない年頃でした。なので、プログラマになる=ゲーム会社に勤める、くらいしかイメージがわかなかったんです。だから、プログラミングを仕事にしたいと決めていましたが、一方で、果たして自分に面白いゲームが作れるのだろうかなどと勝手に悩んだりもしていました(笑)。
結局、大学で専攻したのは英文学でした。いずれプログラミングを仕事にするんだったら、むしろ大学での専攻は違うものをやったほうがいいんじゃないかと思ってました。その方が人間の幅も広がるし、英文学の勉強をしながらでも大好きなプログラミグは出来ますからね。今にしてみれば体系的に情報工学を勉強しておいた方が良かったかな、とも思うこともありますが、「たら」「れば」を考えても仕方ありません。ひとつの選択をしたら、それを後悔しないよう必死で頑張ろうというのはいつも考えていることです。
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− 編集部:大学に入って、アルバイトを始められたことが、実質的なキャリアのスタートになります。一流企業から高度な仕事が舞い込む小さな会社だったんですね。
大学に入ってからインターネットにも触れることになって、一人でいろいろ新しい技術を試していましたが、全く飽きることはなかったですね。それで1年生の秋頃に、実際に仕事でプログラミングしている人達に興味がわいて、そろそろ自分でもやってみようと考えたんです。見つけたのは大学のアルバイト募集の掲示板でした。プログラマ募集に、1年生、しかも英文科の学生が応募してきたわけですから会社はびっくりしたみたいです。面接でいきなり簡単なプログラムを2〜3個書かされたりしましたが、必死に考えてなんとか採用されました。そのアルバイト先で恵まれていたのは上司が優秀な人だったことです。しかも、手取り足取り教えるのではなくて、頑張ってついてこい、みたいな空気でした。ついてくるヤツだけ来ればいい、エンジニアはそんなもんだ、というスタンスでしたね。厳しいけれど、自分の成長にとってはいい環境でした。
− 編集部:大学卒業後に就職してからオープンソースの世界、とりわけPHPの開発で知られるようになっていきます。社会に出たことで、仕事ぶりは変わったんですか?
まず、アルバイトの頃よりも働く時間が長くなった分、会社にどう役に立てるのか考えるようになりました。どんな価値を出せるか、どううまく時間を使うか、いつも必死に考えていました。そういった中でオープンソースソフトウェアという世界にもっと関わってみようと考えるようになりました。学生時代は、限られた時間で第一線のベテランエンジニアの方々についていくのに必死で、なかなかそういった余裕はありませんでしたが、一方でオープンソースソフトウェアというものは仕事で自然と利用していたし、技術者向けのMLで発言したりはしていました。最初から興味はあったんでしょうね。
それで就職してから、本格的にオープンソースという世界にコミットしてみようと思ったわけです。様々な言語があった中で、当時一番時間を割いたのはPHPでした。英語のドキュメントの翻訳なんかもやったり、趣味の延長でパッチを書いたりしました。そういったコードをコミュニティに「こんなのありますけど」と公開すると、意外に「これ悪くないじゃん」という反応が来て嬉しかったのを覚えています。当時は牧歌的な時代でしたから(笑)。実はPHPという言語も、私は最初使っていなかったんです。でも、自分の書いたコードが次第に開発者コミュニティの中で広まって、海外からも反応が出始めて、だんだんワクワクするようになるわけです。いろんな人にも会えるようになって、「雑誌の記事を書かない?」なんて誘われるようにもなりました。それはもうひたすら楽しくて夢中になっていましたね。
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