ビジネスとデザインの諸相――家電業界の場合――(1)1.欲しい家電がない
先日、義母宅のファックスとビデオデッキが壊れたため、新しいものを買おうと家電量販店へ行った。実は、家電を買うのは久しぶりである。梅田の国内随一の規模を誇る家電量販店に行ったのだが、正直、とてもショックを受けた。所狭しと陳列棚に商品が並んでいるのに、どれ一つとして欲しくなるようなものがないのである。 これは何なのだろうと考え込んでしまった。そういえば、先だって携帯電話を替える時にも同様の問題に直面した。メーカーは違うのに、似たようなデザインで似たような機能のものばかり。どれも必要以上に多機能であるように思うし、デザインについても、美しく、心を惹かれるようなものは皆無に等しい。これでは、モノを選ぶ楽しみが一切ない。 結局、義母用には、値段的に一番手頃なモノを選んだ。考えて見れば、これまでもいつも家電を買おうとするたびに同じ悩みに直面し、しょうがないな、と思いながらそれでも少しはましなものを購入するということを繰り返してきた。 確かに、家電は家族以外の目に触れる機会は少ないから、モノとしての美しさやデザインの良し悪し、個性は求められないのかもしれない。その一方で、次から次に新しい技術開発が行われるから、より多機能で高性能なものが求められるのかもしれない。その結果が現在市場に溢れている商品の数々なのだろう。 しかし、家電王国と言われ、毎年、これだけ多様な製品が大量に世に送り出されていながら、どれも自分の生活を豊かにしてくれるようなものに思えないのは何故なのだろう。特に、デザインに関しては、どうしてこんなに無個性で貧困であるのだろうと考えざるを得ない。 これとは対照的に、欧米(特にヨーロッパ)からの輸入家電には必要十分な機能と個性的なデザインの組み合わせを有するものが多い。確かに、国内メーカーのものに比べると機能的にはシンプルで価格も割高であるが、ドイツにはドイツ、イタリアにはイタリアのそれぞれのメーカーの個性があって、思わず欲しくなるような魅力に溢れている。 特に、イタリアのものには、工業製品でありながらどこか人間的な温かみを感じるものが多いように思う。近年のインテリアやデザインに対する急速な関心の高まりともあいまって、これら輸入家電の市場が活況を呈しているが、うなずける話である。 周知の通り、家電に限らず、自動車、家具、アパレル、雑貨といった分野においても、日本で人気のある欧米の工業製品の多くには、機能に還元しきれない何とも言えない魅力が備わっている。 その魅力を生み出すのは、ブランドであったり、デザインであったり、カラーリングであったり、質感であったりするのだが、いずれにせよ、五感を刺激する官能的な何かであるのが共通点である。 このような欧米(特にヨーロッパ)と日本との工業製品の違いはどこから生まれるのであろうか。 生活スタイルの違いや歴史に裏打ちされた文化の成熟度の違いと言った、いわば生活に関する価値観の違い、が当然に背後にはあるのだろうが、細かく検討していくと、そう簡単には割り切れないものを感じている。 本稿では、家電業界に焦点を当てて、なぜ、日本ではデザインの良い魅力的な家電が生まれにくいのか、について説明を試みた上で、業界における新たな動きや、今後の家電メーカーの進むべき方向について検討を行うこととする。 なお、欧米と一口に言ってもヨーロッパとアメリカではかなり性格が異なっているため、本稿では、ヨーロッパ(特に明示をしない場合、主としてイタリアとドイツをイメージしている)との比較に焦点を当てて検討を行うこととする。 2.創り手側の問題 輸入家電を目の前にした消費者の反応は、「さすがにイタリアのものはデザインが良いわねえ」と言った感じだ。イタリア人はセンスの良い物づくりができる、というイメージはすっかり定着しており、「メイド イン イタリー」はファッションやデザインにおいては、それだけでブランドになる。 ここで暗に前提とされているのは、ことデザインに関しては、「創り手(供給者)」の能力がヨーロッパの方が優れている、ということである。ここで言う「創り手」の能力には、実際のデザインを行うデザイナーの個人的資質とそれを製品として世に送り出す組織としてのメーカーの開発力という二面性がある。 デザイナーの資質に関して言えば、日本人だからセンスがない、というのは当たらないだろう。ヨーロッパのメーカーで活躍する日本人デザイナーは多いし、特に建築の世界においては、安藤忠雄、磯崎新、妹島和世といった人々がビッグネームとして世界中で活躍している。 建築とデザインは親和性が高く、欧米の工業デザイナーの多くが建築出身であることを鑑みると、日本にも潜在的に優れたデザイナーは多いと言えよう。 ただし、デザイナー同士が切磋琢磨し、能力を発揮できるような環境があるか、というとこれは双方の間で差があると言わざるを得ない。 よく指摘されるのが、デザイナーの立場上の違いである。日本の工業デザイナーの多くはインハウス(メーカーのサラリーマン)であるが、ヨーロッパではメーカーはフリーのデザイナーと契約するのが通常の形態である。 一概にインハウスの方が悪いとは言えないが、常に競争にさらされ自らの能力が試される点、数多くのメーカーや製品分野のデザインを手がける機会が多い点で、フリーのデザイナーの方が、多彩な能力を開発する機会に恵まれていると言えよう。 また、デザイナーに与えられている権限が大きいのもヨーロッパの特徴である。クリエイティブ ディレクター、アート ディレクター、デザイン コンサルタント、などの役職をデザイナーに与え、彼等が経営者と対等以上の立場でデザインやブランディングに関するディレクションを行うことができるのである。 例えば、日産を再生させたカルロス ゴーン社長は、経営再建の柱の一つとしてデザイン部門の強化を掲げ、ライバル会社であるいすゞ自動車から中村史郎氏を引き抜き、デザイン本部長に据えている。 この時、ゴーン氏は、「デザインにも経営トップのマネジメント感覚が求められる」と言って中村氏を口説いているが、デザイナーに求める能力に対する認識の彼我の違いを改めて感じさせる言葉である。 結果、中村氏のイニシアティブにより、日産は、賛否両論を巻き起こすほどの大胆なデザインの変更を行い、新しい「日産らしさ」を生み出すことに成功したが、このような手法はブランド再建時にヨーロッパに通常見られる手法である。 以上のように、デザイナー同士の競争環境があること、企業の哲学を理解した信頼できるデザイナーに大幅な裁量を与える経営慣習が見られること、が日本に欠如しているヨーロッパの創り手側の特徴である。これがヨーロッパの工業製品のデザインを支えていると言えよう。(以下続く) (c) 日本総合研究所
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