インフラ進化論■ 概要
電話、交通等のインフラストラクチャーの発展過程を振り返ると共通のパターンがある。素人である利用者のセルフサービス化に代表される進化パターンを認識することは、医療・ヘルスケアのイノベーションや情報技術(IT)の社会インフラ化の今後の推進に有益である。 ■ 本文 日本政府は2001年以来の e-Japan 戦略を2006年に IT 新改革戦略に発展させた。この5年間でブロードバンドなどの通信サービスは大きく普及したが、IT 利活用の社会的広がりは期待されたほど進展していない。たとえば医療分野でのカルテ電子化は e-Japan 戦略II(PDF)での目標に大きく立ち遅れている。 一方、今後に向けて「いつでも、どこでも、誰でも」 IT を利活用できるようにすると期待されるユビキタス関連技術は本格的普及の前の足踏み状態であり、東京大学の坂村健教授は「次世代ユビキタス情報社会基盤の形成に向けて、技術の標準化・共通化に加えて、制度設計が重要」としている。 ここでは視点を変えて温故知新してみたい。すなわち通信、交通等のインフラストラクチャー(以下、インフラと略す)がどのように発展してきたか歴史を振り返り、社会的広がりへの必要条件を発見したい。それにより、医療・ヘルスケアのイノベーションや IT の社会インフラ化を推進するための「次の一歩」として何が肝要かを論じたい。 ■ 電話と交通の歴史を振り返る たとえば電話の歴史を振り返ると以下の通りである。電話機が発明された1876年から1910年代頃までは、交換手が発呼者の要求を受け付けて、交換台のプラグを操作して着呼者と接続していた。また電話加入者は、官公庁、企業、裕福な個人等、少数に限られていた。当時の米国では「スミス医師につないでくれ」と頼むと、交換手が「スミス医師は今デート中なのでつなげません」と答えたという(笑)話もあったくらい、電話加入者と交換手は顔の見える関係だった。 その後、電話加入者が増加するに伴い、交換手が提供するサービス(以下、電話交換サービスと呼ぶ)への需要は爆発的に増大し、一時は「全人口が交換手にならないと需要増大に対応不可能」とまでいわれた。これに対応して電話加入者を識別する電話番号制度が確立され、電話番号を利用した自動交換機が発明された。日本では1926年から自動化(ダイヤル式)への移行が始まった。 以上の過程を通じて、交換手が提供していたプロフェッショナル サービスは、素人である利用者によるセルフサービスで代替された。また電話機は「設置場所まで出かけて使うもの」から「手元で使うもの」に変わった。 また交通の歴史を振り返ると以下の通りである。大量の人や物を高速で長距離移動する交通手段として、鉄道が最初にインフラとなり、次に自動車・道路交通網がインフラとなった。鉄道と自動車・道路交通網とを比較すると、鉄道は専門事業者による駅から駅へのサービスであり、自動車・道路交通網は素人である利用者による、出発地(自宅など)から目的地へのセルフサービスである。 ■ 米イリノイ大学 Bruce R. Schatz 教授によるインフラ進化の法則 Bruce R. Schatz 教授は以上の知見から「インフラの発展は以下の進化の法則に従う」と論じている。 1. すべてのインフラはユニバーサルサービスへと発展する過程で、必要なサービス量の爆発的増大に対応するために、ステーションツーステーションからポイントツーポイントへ、訓練された専門家から訓練の乏しい素人へと、同じパターンで進化する。 2. ユニバーサルサービスになると必要なサービス量の大半は利用者自身が処理するが、その際インフラは熟練者のスキルを模範とする支援を提供する。 3. インフラの各世代で新たに追加される構造は直前世代の構造での熟練者のスキルを置換え、進化が成功する都度、インフラの構造は現実への近似度が向上する。 なお同教授は「日常生活を支える基本サービス(ライフライン)を内側から支援するものであり、いつでも、どこでも、誰でも使え、共通な利用法で利用者を助けるもの」とインフラを定義している。 ■ インフラ進化の法則を医療・ヘルスケアにあてはめて考える 最初に医療・ヘルスケアの現状認識を述べる。現在の医療は急性疾患や事故等による負傷への対応に最適化されており、高齢化に伴って増加が予想される慢性疾患には最適化されていない。また保健、介護等のサービスと医療との連携は不十分である。医療・ヘルスケア等のサービスは病院などのステーションで主に提供されており、サービス利用者の手元(自宅など)で提供されるケースは稀である。また利用者によるセルフサービスはごく少ない。 Bruce R. Schatz 教授によるインフラ進化の法則を、医療・ヘルスケアにあてはめて考えると、「高齢者や慢性疾患の患者等に対し、手元(自宅など)で、かつセルフサービスで提供する必要がある」ことが判る。これに加えて、医療の慢性疾患、急性疾患、負傷等への全体最適化、ならびに保健、介護等のサービスとの連携拡充が必要であることは言うまでもない。医療・ヘルスケアのイノベーションには、以上の改革が必要となる。 ■ IT の社会インフラ化を推進するための「次の一歩」として何が肝要か Bruce R. Schatz 教授によるインフラ進化の法則の視点から考えると、IT の社会インフラ化の進捗度合いの評価尺度は、ポイントツーポイント化と素人セルフサービス化である。ユビキタス関連技術が本格的に普及すればポイントツーポイント化は完成すると考える。素人セルフサービス化については、技術、制度、リテラシーの三つの面から考える必要がある。コンピュータとインターネットについては技術、制度、リテラシーの各面で素人セルフサービス化がほぼ実現している。 しかし情報内容の利活用については、技術、制度、リテラシーのいずれの面においても素人セルフサービス化への支援は不十分である。このため、IT の社会インフラ化を推進するための「次の一歩」としては、素人がセルフサービスで情報内容の利活用するための技術の開発、ならびにセルフサービスを支える制度の整備とリテラシーの育成が肝要であると考える。 【謝辞】 本記事の執筆にあたっては CANIS に掲載されている Bruce R. Schatz 教授の業績を参考にさせて頂いたので、この場を借りて深く感謝します。とりわけインフラ進化の法則ならびに医療・ヘルスケアの改革については Richard B. Berlin との合作論文" The Inevitable Evolution of Healthcare Infrastructure"を参考にさせて頂きました。 水丸晴雄 日本ユニシス株式会社 先端技術部 技術開発室 上席研究員 |