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2003年5月6日 00:00

心に残るストーリー

 なくて七癖、ということわざがある。話す言葉や書く文章にも癖は出る。たとえば、私の場合は「根が善人なので」という言い回しを好んで使う癖がある。それは書く文章にも影響していて、やはり全文検索をかけてみると、過去のコラムにも登場している。もちろん、自分が善人であることを主張する意図はなく、「んなワケないだろ」というツッコミを期待して使っているのである。

 過去のコラム

 なぜ「根が善人」という表現が好きなのか、その理由はわかっている。子供の頃に読んだみなもと太郎の漫画「どろぼうちゃんシリーズ」第1巻の中で、窃盗犯の主人公が「根が善人なんですね」と不条理な言い訳をする台詞があって、当時とても面白いと感じたからである。(長じてから「どろぼうちゃんシリーズ」は、少女向け漫画であることを知り愕然とするが、それは別の物語である。)

 子供の時に読んだ本のことは永く記憶に残る、とよく言われる。たしかに、小学校の国語の教科書に載っていた物語で、やたら鮮明に記憶に残っているものがいくつかある。3年の「かがみのなかの犬(星新一)」、4年の「まっかなねこのじけん(岡本良雄)」、6年の「めもあある美術館(大井三重子=仁木悦子)」といった具合である。だが、よく考えてみると、その他のものはほとんど忘れてしまっていて、覚えているものと忘れてしまったものの格差が大きいことに気づく。

 数年前になるが、「めもあある美術館」をもう一度無性に読みたくなった私は、東京都北区の教科書図書館を訪れ、当時使った教科書のコピーを入手した。なぜ、6年の教科書の中で、「めもあある美術館」が特に心に残ったのか。ほぼ25年ぶりに全文を読んでみて、なんとなくその理由がわかった。

 童話には、自分の行いは結局自分に降りかかってくる、という教訓的なものが多い。いいことをすれば「めでたし、めでたし」となるが、悪いことをした主人公には悲惨な結末が待っている。つまり、一応の結論が示されるのが普通だ。

 ところが、「めもあある美術館」の場合、いわゆる「オチ」がないのである。小学6年の当時も、「えっ、ここで終わりなの?この物語の作者は何を言いたかったのかな?」と感じたことを覚えている。ひょっとしたら、心のどこかで、その時の疑問に対する答えをずっと探していて、それが印象に強く残っている原因なのかもしれない。

 最近、ウェブで記載される文章はどうあるべきか、というライティング技術が注目されるようになった。ウェブには容量=文字数の制限はないのだから、多少長くなっても起承転結をしっかり考えたストーリーを作るほうがいい、という意見がある一方で、ウェブの文章を精読する人は少ないから、プレスリリースのように結論を最初に持ってきて、しかもできるだけ短くするほうがいい、という説にも一理あるように思う。

 いずれにしても、ビジネス目的の文章である以上、読んだ人に「なるほど」と思わせる説得力のある構成が必要だと考えるのは当然だろう。しかし、「オチ」があまりにもきれいすぎると、読んだ側は納得して安心してしまい、記憶の優先順位が下がってしまうということもあるのではないだろうか。

 ゴールデンウィーク中に本棚の整理をしていて、最近読んでない本を並べながら、ふとそのようなことを思った。(文中敬称略)
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